
この記事の目次
明日はどんな自分に会えるか
近頃、車を運転していると、
周りの交通の動きに腹を立てている自分に気づくことが多く、
「嫌だな、こんな自分」と思っていました。
初夏に、これからは笑顔を絶やさないと誓いを立てたのに。
そんな自分に気づいては
「いかんいかん」
と、腹を立てている思考さんをなだめすかしていました。
きのうも横から煽られたり、
右折するのに道路の中央に寄せてない車や、
赤信号になっているのにもかかわらず、横断歩道を渡り始める人を見てイラついてしまったりと、
周りの環境に翻弄されていました😵
雷撃のように頭に浮かんだコトバ
そんな中、突如気づいた真理。
いや、気づいたというよりは思い出したという方が正解か?
『自分以外の全ての他人は、実は自分でもある』
何の前触れもなく、突然わたしの頭を駆け巡ったのです。
悟りとは考えが纏まることではなく、思い出すこと
わたしが愛読している慈恩保さんの著書に、
悟りたいあなたへ (仙台書院)という本があります。
そこの中の一節に、
悟りとは、高次元(五次元)の世界から、
現在いる三次元の世界に来る際に失っていた記憶が、
一気に甦るだけである、
という趣旨のことが記されています。
要は、この世に生を受ける(生まれ変わる)直前に全て消去されていた記憶が
今になって思い出されるということです。
これがこの世の最大の秘密のひとつらしい・・・
だとしても、どうして他人が自分なのか。
つい最近までのわたしには、到底受け入れられないコトバです。
イケメンならまだしも、
あんなに自分を苦しめる奴、イラつかせる奴が、自分であるわけがない。
なのに、昨日のわたしはすんなりと腑に落ちる感じがしたのです。
・・・・・・・・。
ということは、これは悟りを得たのか??
やった!
と一瞬思ったものの、すぐさま間違いに気づきました。
確かに思い出しましたが・・・
同書にはさらに、
---そのときあなたは、目の前に存在する他人と思しき人ですら、
自分でもあるということを自覚することでしょう。---
という記述があったことも思い出したからです。
なので、たしかに記憶が甦ったとはいうものの、
それは五次元の記憶ではなく、
つい最近の読書体験による記憶でした。
ナンダヨ😅
他人が自分であると、気づいたことで受けた大いなる恩恵
とはいえ、その『真理』に気づいてから、
自分の中のイライラが雲散霧消したのに気づきました。
これは大収穫と言っていいと思います。
トロいおばちゃんドライバーも、
いきり立って煽ってくるおっさんドライバーも、
車道を堂々と歩いて邪魔する兄ちゃん、姉ちゃんも。
全てが自分であると『気づいて』からは、
イラつくどころか愛おしい存在になっていたのです。
ここでいう他人とは、『邪魔な存在』だけではありません。
絶世の美女、カワイイギャルやイケメンはもちろん、
このブログを読んで下さっているそこのあなたもまた、わたしなのです。
それはファーストビュー画像の女神がわたしであるが如くです。
この『悟り』のおかげで、明日がとても楽しみに思えてきました。
どんな他人=自分に会えるのか。
とてもワクワクします😊